家族の絆について

2つの誕生日プレゼント

秋。11月26日。埼玉にいる長男から荷物が届いた。
それもクール宅急便で!
何と見た目は?のティラミスごときケーキが入っていた。
即、長男に電話を入れたが留守電。
夕方、今度は就職して半年の次男が、
両手に抱えきれないほどのプレゼントを抱えて久々の帰宅。
それらは、バスケ・サッカー・野球道具などスポーツ用品がずらりと並んだ。

その日は、年の離れた弟(四三男)の誕生日だった。
商売人の家庭に育った二人の兄達の想いからだろうか、
「両親に精一杯遊んでもらえ」と言わんばかりの割り勘プレゼントに
涙が止まらなかった。

春。5月27日。
今度は遥か遠くに行ってしまった長男、イギリスからのエアメールが届いた。
「HappyBirthdayたかとし!」と三男の誕生祝いの文言に始まり、
「今年の誕生日は成人式だから精一杯のお祝いをしてやって!」と続いていた。

その日、久々帰宅の次男の手には、大きな誕生日ケーキが。
夕食後の団欒は仏壇の前に20本のロウソクを準備した。
誕生日祝いは、三男の誕生日も毎年欠かさず続けている。
そしてその日も家族で仏壇の前に集い、
「今年はたかちゃんは成人式だね。どんな大人になってただろうか」と話し、
それぞれ大きくなっていく息子たちに三男の姿を描いていた。

この5月27日は、今は亡き私の宝物のひとつの「命」が生まれた日。
いつもは元気印の私も、この日はなぜか胸がキュンとなり、少々落ち込んでしまう。
まだ年数的にはそんなに重ねていない私の人生の中で、
彼の死は「生きる」と言う事の大変さと「命」の価値を
身が切れるほど味わった人生の一ページだった。
勿論、その気持ちは家族同様だった。
それは三男が亡くなった頃、他の子の事を考える余裕がない私は、
仏壇の前で呆然と「死にたい。たかちゃんのところへ逝きたい。」と呟いた。
その時横で手を合わせていた次男が、
「お母さんが死んだら、僕たちはどうすればいいの?」と、
真剣な表情で覗き込んだ。
ハッと「この子達のために頑張らねば」と気づかされた。
それからの私たち家族は、三男が身を持って教えてくれた「命」の価値を知り、
今までの人生観をも変える事になる。

子育ては誰しも初めてのこと。教科書なんてものはない。
親の方が子ども達に教えられることが多々ある。

現在、巣立っていった息子たちが私に助言、教訓など厳しい言葉が返ってくる。
子育ては”教育”ではあらず”共育”であるのだろう。

あの子の大切な「命」の礎が、
今の私たち家族の考え=”自分の人生悔いのないように精一杯過ごす事”
そして”絶対に自ら命を絶ってはいけない事”なのだ。

最後に、冒頭の朝早くに届いたティラミスは、やはり長男の手作りだった。
家にいた頃は自炊なんて想像もしなかったのに。

長男曰く「気持ちでお祝い!お金じゃないよ」だと。涙・・・。

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